1958年(0歳)
アメリカ合衆国ミシガン州に生まれる。
1977年(19歳)
35ドルを手に、スターを夢みてニューヨークへ。
1979年(21歳)
成人映画「マドンナin生贄/堕天使」に100ドルのギャラで初主演。
1980年(22歳)
バンド「Emmy(エミー)」を結成。
クラブシーンで支持を集める。
1982年(24歳)
ワーナーブラザーズ・レコード(サイアー・レコード)と契約。1stシングル「エヴリバディ」で歌手デビュー。全米ダンスチャートで初登場3位、発売翌月に1位を記録。
1983年(25歳)
1stアルバム「マドンナ(邦題:バーニングアップ)」を発表。全米400万枚、全世界800万枚売り上げ大ヒット。
1984年(26歳)
2ndアルバム「ライク・ア・ヴァージン」で初めて全米1位を獲得。全世界で2000万枚を売り上げ、11ヶ国のチャートで1位を記録するメガヒットとなり、一躍スターダムへ。
1985年(27歳)
ショーン・ペンと結婚。
初来日。フジテレビ系の人気音楽番組「夜のヒットスタジオ」で「ライク・ア・バージン」を披露。2ndアルバムからのヒット曲「マテリアル・ガール」がマドンナの代名詞に。初めてのワールドツアー「ザ・バージン・ツアー」へ。
チャリティライブ「Live Aid」に出演。
1987年(29歳)
主演映画「フーズ・ザット・ガール」のサウンド・トラックを発表。ワールドツアー「フーズ・ザット・ガール・ツアー」で来日。
ケネディ元大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニアと3ヶ月間交際。
1992年(34歳)
レーベル「マヴェリック」設立。
過激なヌード写真集「SEX」を発表。
1996年(38歳)
長女ルルド・マリア・チッコーネ・レオンを出産。父親はパーソナルトレーナーのカルロス・バイド。入籍せずシングルマザーに。
1998年(40歳)
8thアルバム「レイ・オブ・ライト」でグラミー賞受賞。
2000年(42歳)
長男ロッコ・リッチーを出産。
父親の映画監督、ガイ・リッチーと結婚。
「史上最も成功した女性アーティスト」としてギネスブックに記録される。
2003年(45歳)
絵本「イングリッシュ・ローズ」を発表。
2005年(47歳)
11thアルバム「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」を発表。28ヶ国のチャートで第1位を獲得し、全世界で1000万枚売上げる。アルバムからのシングル「ハング・アップ」は、全米だけで870万枚を売り上げマドンナの歴代シングルの中で最高のセールスを記録。
チャリティライブ「Tsunami Aid:A Concert of Hope」、「Live 8」に出演。
マラウィの孤児院で暮らしていたデヴィッド・バンダを養子(息子)に迎える。
2007年(49歳)
チャリティライブ「Live Earth」に出演。
2008年(50歳)
12thアルバム「ハード・キャンディー」が全米ビルボードアルバムチャートで通算7作目の第1位を獲得。これは女性アーティストとしては歴代2位の記録。 「ロックの殿堂」入り。
映画初監督作品「ワンダーラスト」を発表。
28歳年下のヘスス・ルス(モデル)と交際を始め話題に。
2009年(51歳)
デビュー27年にわたるキャリアを集結したベストアルバム「セレブレイション~マドンナ・オール・タイム・ベスト」を発表。
マラウィの孤児院で暮らしていたマーシー・ジェームズを養女に迎える。
アメリカのミシガン州の冬が長く寒さの厳しい田舎街に暮らす一家の8人兄弟の3番目、長女として生まれたマドンナ。父親はイタリア系移民2世で、貧しく、イタリア人に対する偏見のなか育ったために、子どもたちには良い暮らしをさせようと必死で働いたとか。しかし、5歳の時に母親を乳がんで亡くしたマドンナは、大きな精神的ショックを受ける。義母にはなつかず、本当の愛に飢え、不安と闘いながら悶々とした幼少時代を過ごした。兄弟の面倒を見ながら、ピアノやダンスを習い、女性として、人として、周囲よりも早く成熟していった。そして19歳のとき、わずか35ドルを手に、夢を持つ若者が集う街、ニューヨークへ。
華やかなニューヨークで「有名になる」と決意したマドンナ。初めて借りたアパートの周囲は最悪の治安だったが、気にも止めずバレエダンサーとたくさんのアルバイト、夜はクラブに繰り出し新しいダンス習得にいそしむなど、歌手デビューするためのチャンスを常にうかがっていたという。
ドーナツ屋さんや高級レストランのクローク係、そして、ヌードモデルも経験。生活のため男性と一夜を共にすることも……。
有名DJや画家、音楽プロデューサーのジョン・ジェリービーン・ベニテスと交際。共に夢を追える男性と恋愛関係に。
夢を後押ししてくれると思える有力者が集うあらゆる場所に出かけ自己アピールしていた。
ある夜、マドンナは「エブリバディ」を収録したデモテープをクラブでDJマーク・カミンズに渡す。これを聴いた彼の紹介でワーナーブラザーズ・レコード(サイアー・レコード)と契約。シングル「エブリバディ」で念願の歌手デビューを果たす。ニューヨークの地に降り立ってから5年が経過していた。その後発表したシングルやアルバムは飛ぶように売れ、強烈でセクシーなダンスを披露するステージやプロモーションビデオが話題となり、一躍スターダムへ。「マリリン・モンロー再来」と呼ばれ、セックス・シンボルとしても自らのキャラクターを確立し、“夢”を果たす。
ライブではファンを熱狂させ、ジャンルにとらわれないセンセーショナルな楽曲を輩出し続けたマドンナは、時代を生き抜くクイーン・オブ・ポップとなった。36歳で脱セックス・シンボル宣言し、新作を発表するたびにさらに高く評価されるようになる。その一方で、主演映画「エビータ」でゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞するなど、女優や絵本作家、映画監督としての才能も開花させ、表現者として、世界中のファンを魅了する。年齢を重ねるたび昇華するマドンナは、まさに他の追随を許さないスーパースターとしての地位を不動のものにした観がある。
写真:アフロ