伝説のCelebが残した魅力的な“オンナの生き方 MARILYN MONROE Style マリリン・モンロー スタイル 波乱に満ちた私の人生、ご覧あそばせ

1950年代を中心にアメリカを代表する女優として世界中の男性を魅了したマリリン・モンロー。真っ赤な口紅と口元のほくろが印象的で、セクシーさの中に垣間見せる可愛らしさに心奪われた日本人も多かった。そんな煌びやかな女優としての活動の一方で、世間の視線はスキャンダラスな私生活にも注がれた。3度の離婚、中絶や流産、薬物・アルコールへの依存、ケネディ大統領との不倫、そして36歳の若さで打たれた人生の終止符……。しかし、死後47年を経た今も、マリリン・モンローは1人の女性として輝き続けている。セレブの先駆けともいえるマリリン・モンローの生涯を通じて“魅力的なオンナの生き方”に迫った。

01.波乱に満ちた生涯02.マリリン語録03.女優としての成功04.プライベート秘話
01.From Norma Jeane to Marilyn Monroe ノーマ・ジーンからマリリン・モンローへ―― 早すぎる最期で驚きの生涯に幕

マリリン・モンローアメリカ・ロサンゼルス生まれ。本名はノーマ・ジーン・モーテンセン(後に改名)。母親が精神疾患で入院したため、幼少時代は孤児院や里親の元を転々とし、里親から性的虐待を受け、吃音症(きつおんしょう)を患ったこともある。16歳でスカウトされ、モデルとしての活動を開始。その後、20世紀フォックスと契約して、この時、「マリリン・モンロー」という芸名に。映画「ナイアガラ」で初の主演の座をつかみ、続いて主演した映画「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」で大ブレーク。27歳にしてスターダムにのしあがった。同時期に雑誌「プレイボーイ」の初代プレイメイトとして創刊号の表紙を飾りヌード特集が組まれ、この頃から “セックス・シンボル”とも呼ばれるように。私生活では、16歳で初めて結婚するも4年後に離婚。3回の結婚はすべて破局している。また、ケネディ大統領との不倫など多くの男性関係が取り沙汰された。晩年のマリリン・モンローは情緒不安定で精神安定剤を服用。ドラッグやアルコールに溺れ、心身ともにボロボロだったとされる。そして最期はひとり自宅で……36歳という早すぎる死だった。死因は睡眠薬過剰摂取による自殺とされたが、後に他殺説が浮上した。

Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)
1926年
(0歳)
アメリカ・ロサンゼルスに生まれる。
本名:ノーマ・ジーン・モーテンセン
(後に改名:ノーマ・ジーン・ベイカー)
1942年
(16歳)
警察官ジム・ドアティと結婚
モデルとして活動を始める。
1946年
(20歳)
20世紀フォックスと契約。
芸名を「マリリン・モンロー」とする。
ジム・ドアティと離婚
1953年
(27歳)
映画「ナイアガラ」で初主演。
主演映画「紳士は金髪がお好き」、「百万長者と結婚する方法」で一躍スターダムへ。
雑誌「プレイボーイ」の初代プレイメイトとして創刊号の表紙を飾る。
1954年
(28歳)
元ニューヨークヤンキースの野球選手ジョー・ディマジオと結婚
新婚旅行で日本を訪れ、ファンから熱烈な歓迎を受けるも9ヵ月後に離婚
マリリン・モンロー・プロダクション設立。
1956年
(30歳)
劇作家アーサー・ミラーと結婚
1960年
(34歳)
映画「お熱いのがお好き」でゴールデングローブ賞・最優秀コメディ女優賞を受賞。
1961年
(35歳)
J・F・ケネディが大統領に就任した日、アーサー・ミラーと離婚
ケネディ大統領45歳の誕生日パーティで「ハッピー・バースデイ」を歌う。
1962年
(36歳)
睡眠薬の過剰摂取により死去。
02.Phrases of Marilyn Monroe 世界を魅了した理由が分かる?マリリン語録

プロの女優として、1人の女性として、マリリン・モンローが残した“ことば”をご紹介。マリリンのチャーミングな一面が垣間見え、世界を魅了した彼女の人となりがわかる。

02.Phrases of Marilyn Monroe 世界を魅了した理由が分かる?マリリン語録
03.Episode of Marilyn Monroe 欠点も逆手に!? 徹底的な研究で独自のスタイルを確立 女優マリリン・モンロー」成功の裏側

20歳で20世紀フォックスと契約し、「マリリン・モンロー」として女優の道を歩き始めたマリリンだが、16歳から始めたモデル時代を合わせると約11年間は泣かず飛ばず。その間、ヌードモデルやコールガール、ストリッパーなどで生計を立てた。しかし、27歳のとき初めて主演した映画「ナイアガラ」で、腰を振りながら歩く“モンロー・ウォーク”が話題となり、続いて主演した映画「紳士は金髪がお好き」と「百万長者と結婚する方法」でブレーク。スターダムへのしあがった。日本では「7年目の浮気」が大ヒットした。ぽっちゃりした体型で大きくて目立つお尻、短足という弱点を逆手に挑戦したセクシースタイルで“セックス・シンボル”としての地位も掴みとった。ブレーク後のマリリンは、破天荒な、今でいう“おバカキャラ”というイメージが強いが、諦めずコツコツ頑張る芯の強さはずば抜けていた。下積み時代は徹底的に自らを研究し続けたと言われ、マリリン・モンローが“セクシーなのにチャーミング”という、独自性の強いスターとなった秘密は、そんなところに隠されていたのかもしれない。

映画「7年目の浮気」(1956年)より
3つの愛されキーワード
Key Word1 セックス・シンボルセクシーであることを武器にブレークした人の意。マリリン・モンローは“アメリカのセックス・シンボル”と称された。 Key Word2
モンロー・ウォークお尻を大きく左右に振りながら色っぽく悩ましげに歩くこと。マリリン・モンロー独特の歩き方。 Key Word3
モンロー・スマイル辛い幼少時代を過ごした人が放つ魅力的な笑顔のこと。波乱に満ちた幼少時代を送ったマリリン・モンローの笑顔が語源。
04.Private life of Marilyn Monroe 3度の離婚、ドラッグ、ケネディ大統領との不倫… 衝撃のプライベート秘話

マリリン・モンローは3度結婚したがすべて離婚した。16歳で最初に結婚した警察官のジム・ドアティは、モデルの仕事を理解せず4年後に破局。マリリンは後日、「愛のない結婚だった」と自嘲気味に振り返っている。28歳で元ニューヨークヤンキースの野球選手ジョー・ディマジオと再婚するもわずか9ヶ月でスピード離婚。30歳で結婚した劇作家アーサー・ミラーとの結婚生活は、ジョン・F・ケネディ大統領(JFK)との不倫関係が噂されるなか5年間で終止符を打った。他にもJFKの弟ロバートや20世紀フォックス会長との愛人関係、大好きなシャンパンをあおり何人もの男性と欲望のままにベッドイン……など、数々の男性関係に加え、同性愛もささやかれた。また10回以上中絶したとの説もあり、ケネディ大統領やチャーリー・チャップリンの息子などビッグネームが父親候補として挙がっている。晩年はスーパースターゆえの“常に監視されるめまぐるしい生活”に悩まされ精神病院へ通った。マラソンや大好きな長電話などで心の安定を図るもののドラッグやアルコールに手を出したといわれる。そして、マリリン・モンローは36歳という若さで人生に幕を閉じる。

ジョー・ディマジオとマリリン・モンロー
05.いまなお語り継がれる伝説のセレブへ

マリリン・モンローが自宅で1人ひっそり息をひきとったのは1962年。睡眠薬の過剰摂取による自殺と報道された。しかし、マリリン・モンローが亡くなる直前の通話記録や、彼女が私生活を記録していたという「赤い手帳」が行方不明となっていることなどから、その死をめぐっては様々な憶測が飛び交った。翌年には不倫関係が噂されていたケネディ大統領が暗殺されたことも論議を拍車。その一方で、ファンを魅了した美貌やファッションは、彼女の死後も雑誌などのメディアでしばしば取り上げられ、「マリリン・モンローの生き方」そのものは、“伝説”となって今なお語り継がれている。